現在の閲覧者数: 狸小路商店街 -サイ(゚∀゚)タマ!!- 幻想見聞録
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狸小路商店街 -サイ(゚∀゚)タマ!!-

東方プロジェクトとサイ(゚∀゚)タマ!!県を斜め下から眺める場所


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要石の大社

まいど、SEVEN OUTです。
今日は長くなりますので、挨拶は短めに。

突然ですが店主、海が見たいと思い立ちまして、で、ついでなら海におちる
夕日を見て雄大な気分になろうじゃないかと思いつきまして、それならば
せせこましく東京湾とかじゃなくて、でっかく太平洋に、それも、見渡す限り
海みたいなところが良いなと思いたちまして、やおら鉄の駒に火を入れると
一路犬吠埼を目指して走り出した訳ですよ。

この時点でね、きちんと義務教育を修了されている方は、ここの店主は
頭が非常によろしくない事にお気づきかと思われますな。
太陽は東から昇り西に沈むのが常で御座いますな。
犬吠埼は、初日の出を見ることで有名な岬で御座いますな。
その日の出が最もよく見える処から夕日を見るとこうなる訳で御座いますな。

海と正反対、犬吠埼灯台の向こう側に去ってゆく夕日の図。

犬吠埼灯台に落ちる陽

日出処の天子、日没する処の天子へ書を託す。
おれはあほや。

まあそんな訳で、今日のお題は東方緋想天のラスボス、天子ちゃんが
振り回している要石を拝みに鹿島神宮まで言ったときのお話。
いや、けっして、当初の目的が空ぶったから、突如として思いついた
言い訳ネタじゃないですよ?

鹿島神宮

鹿島神宮は、武甕槌大神(タケミカヅチ)様をお祭りする神社で、
常陸の国の一宮。社格は諏訪大社と同じ官幣大社で御座います。

武甕槌大神と言えば平安時代に栄華を極めた藤原氏の氏神様で、
諏訪大社の建御名方神を破り、国譲りをさせた武神様で御座います。
諏訪神話と古事記に書かれる建御名方神の諏訪入りの描かれ方
には違いがありますが、古事記に則れば神奈子様にとって仇敵
の神様という事になりますね。

鹿島神宮楼門

こちらが鹿島神宮の楼門。
鹿島神宮は、神官の家系から、一の太刀兵法で有名な剣聖塚原ト伝を
排出しており、この楼門の下にその事を伝える看板があります。
お侍さんみたいな人が見えますでしょうか?

剣聖縁の神社とあって、境内のお土産屋さんには必ずと言って
良いほど木刀が並んでいました。
もし店主が修学旅行で来ていたら間違いなく買ってチャンバラを
はじめ、お約束のように没収された事でしょう。

鹿島神宮本殿

本殿です。
この写真を撮影する時、ベストタイミングで御尊顔を収めて
しまった通りすがりの参拝者様がいましたので、ちょっと狸
さんに境界をいじくってもらいました。

刀剣博物館

武甕槌大神が、武神と並び剣神としても崇められているためか、
本殿のちょうど反対側に位置する宝物殿の中は、刀剣類が沢山
収められており、刀剣マニアの方にはたまらない造り。
中でも目玉の国宝、直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるし
ひょうもんたちごしらえ)は、全長が3メートルちかくもある直刀で
安時代から伝わるものとしては、最古にして最大のものだとか。

鹿さん

鹿島神宮には、奈良公園のように放し飼いと言う訳ではないのですが、
鹿園があって、そこで神様のお使いとしての鹿が飼育されています。

店主、奈良の鹿と言うのは、イメージ的に東大寺の鹿と考えておりましたが、
実は東大寺の隣にある春日大社の鹿なのだそうです。
この春日大社にお祭りされている神様も、鹿島神宮と同じ武甕槌命様でして、
武甕槌命様からみて祖父にあたります天照大御神が、鹿の神である天迦久神
に神命をたくし、武甕槌命様の処に御使いとして出していた事が、神様の使い
としての鹿が、春日大社、そして鹿島神宮に居る由来なのだそうです。

鹿島スタジアム

豆知識としてオマケで寄ってみた鹿島スタジアム。
Jリーグ、アントラーズファンの皆様なら常識の事でしょうが、鹿の角の事を
アントラーと言うのだそうですね。

鹿島神宮の林道

鹿島神宮の境内は広く、神社の周り、なんとディズニーランドに匹敵する
広さの森林が全て境内なのだそうです。
本殿から奥宮、そしてさらにその奥の要石の社まで続く閑静な杉並木は
聖域にふさわしく、おごそかで、素晴らしい雰囲気に溢れておりました。

奥宮

鹿島神宮の奥宮です。
いまでは奥宮ですが、かつての式年遷宮の折、神社が徳川家康によって
奉納された本殿だったそうです。

要石の社

奥宮から歩いて若干十分。
いよいよお目当ての要石が祭られている御社が見えてまいりました。

要石は、緋想天の物語中にも出てきたとおり、地の底に住み大地震を起す
大鯰の頭を押え、地震を鎮める役割を果たしているとの言い伝えがあります。
この要石をこの地に打ち込んだ神様こそ、武甕槌命様なのだそうです。
現在地上に見えている部分は小さくとも、地中に向かうほど大きくなって
決して掘り返す事が出来ないと言われていますね。

武甕槌大神

写真は奥宮と要石の社のちょうど真中あたりにある、大鯰を踏みつける
武甕槌命様の像です。
武甕槌命様は武神であると共に、剣神様である事から、要石は時に石剣
であるとも言われるそうです。

さて、ネットの資料丸写しの薀蓄もそろそろ読み飛ばされる事でしょうから、
要石とご対面と行きましょう。
いくら地面に出ている部分は小さいとは言え、大地を鎮める神石。
その神々しくも逞しいであろう御姿に期待は膨らみます。

要石

……。
なんだろう。
この、うっかりひっくり返したらダンゴ虫が出てきそうな平べったいの。

と、誰しもがそう思うのでしょう。
かの有名な水戸の御老公様も興味を持たれたらしく、助さんと格さんに
「ためしにほじくり返してあげなさい!」
と命じられて、一昼夜掘り返させた事があったそうですが、言い伝えの通り
掘り返せず、諦めたという故事があるそうです。

上に乗っているのは一円玉でしょうか。
それでだいたいの大きさを把握していただければと思います。
まあ、誰しもがまさかと思って挑み、誰しもがなしとげられず、ついには
伝説となるまで証明されて来た事でしょうから、罰当たりなことは言わず、
大きな地震に遭わぬ様手を合わせてまいりました。

そんなところで今日のイメージカット。
おっきなお魚さんの頭をふんづけ、要石を操る剣神の図をちょうど良く再現
できそうな二人組が緋想天に出演しておりましたので、それで一枚。

キャーイクサーン

さすが衣玖さん。
空気読めてる。


雨垂れ殺生石

ご無沙汰しすぎて申し訳ありません。
一週間がまるで三時間くらいに思えます、SEVEN OUTです。

時の流れが速すぎて、涙こぼれてしまいそうで
外は月の光が切なくて、ここで歌っている。

ドラゴンアッシュで一番好きな歌です。
百合の花咲く場所で。
でも時の流れが速すぎて泣いてる暇も歌う暇もありませんorz

さて今週のたぬきさんは関東に帰ってきたのならではの幻想見聞録。
まずここは絶対に行きたかった栃木県は那須、殺生石の御紹介。

実際に行ったのは先々週になりまして、まあ時期が時期なだけに雨水の
避けられぬ雨天行になったわけですが、しかし大丈夫、家に帰れば車が
あるので嵐の中でも輝いてその夢を忘れないって寸法なのですよ。

ええ、雨風恐れぬ単車乗りの誇りは若さと供に失いました。

金毛白面伝説

生殺石といえば、かの大妖獣、中国、印度、そして日本に渡り権力者に
取り入り、その美貌で国を混乱させたと言う伝説の九尾狐、金毛白面の
いける屍でございますな。

この地に討たれて尚その屍を石に変え、周囲に毒ガスを撒き散らし続ける
その脅威、この草木の一本も生えぬ賽の河原と呼ばれる地を見ていただけ
れば一目でお分かり頂けますでしょう。

犀の河原

・・・・・・写真、ボケてて良く解らないですねorz

まあそんな訳で、今回のテーマは伝説の九尾狐金毛白面を尋ねる旅ですので、
イメージカットは当然の事ながらこの御妖。

九尾藍

藍様・・・・・・ですよ?

店主、どうしても藍様はプリチーな狐娘さんのイメージが強いのですが、今回は
伝説の大妖狐としてのイメージなので、精一杯バケモノバケモノさせてみました。
が、やっぱりイメージも大切にしたいので、御揚げさんを咥えさせてみたりw

温泉神社

殺生石は、那須温泉の湯元、その地に沸く温泉を祭る、その名も温泉神社の
奥にあります。
この温泉神社、その安直な名前から、よくある温泉バブルに乗って地元の商工会が
勝手に建立したモニュメント的神社かと思ったらちと甘い。
この那須の地は、源平合戦のおりに八島の合戦で浮かぶ船にたてられた扇を射抜いて
見よという平家の挑発に応じ、見事にその根元を射抜いたという那須与一の故郷では
ありますが、その那須与一が源氏方についたきっかけとなったのが、この那須温泉神社
に必勝祈願に来ていた源義経と出会い、従軍の約束をした、という伝説の残る神社で
あります。

素敵な参道0

それだけの古社であるこの神社、参道の雰囲気もなかなか。

素敵な参道

ふと脇に目をやれば苔むした森の中に小さくも古めかしい社が点在。
当日の雨がより神聖的な雰囲気を演出してくれてました。
実は山林の中にある神社は、少し天気が悪いくらいの方が、参拝するには良い。
店主はそう思うところがありますが、皆様いかがでしょうか?

温泉神社本宮

こちらが温泉神社の本宮、先述しました源義経と那須与一の故事から、必勝祈願の
御利益もあるとされております。
そしてこの本道の横に小さく併設されておりますのがこちら。

九尾狐稲荷神社

九尾稲荷神社で御座います。

九尾狐稲荷本宮

本来お稲荷様と九尾狐はご縁のない存在であり、そもそもお稲荷様本尊は狐ではないの
ですが、悪玉とは言え天下にその名を轟かせた大妖狐ともなれば、同じく正一位を授かる
存在に不足無しという事でしょうか。

殺生石


その温泉神社、九尾狐稲荷のある境内の横手から奥にのびる細道を進み、そのつき
あたりにありますのがこの殺生石でございます。
似たような大きさの岩が傍にあるのでどっちなのか迷いましたが、おそらく注連縄で封印
されているのがターゲットでしょう。
あたりは色々と有名になってしまった温泉ガス、微弱な硫化水素が常に発生しているのか
実に温泉臭く、長くこの場には留まらぬ様との看板もありました。

九尾狐伝説の謂れは、おそらくこの地に人を近づかせぬためのものであったと思いますが、
この荒涼とした斜面に野晒すその禍々しい岩の迫力は、確かに伝説の大妖の面影を今に
伝えていますね。


さて、京都では来週祇園山鉾でございますな。
ことしは宵山も巡航も平日なため、行かれる方は少ないと思いますが、逆に今年が
チャンスとも言えますね。
店主も、こころの底から行きたいです。また祇園囃子が聞きたいです。
いつか再訪を夢に見て。

そんなところで、今日の商店お開きとさせていただきます。


リポリトジ・オブ・ヒロカワ

まいど、SEVEN OUTです。

と、いつものように始める前に、ちょっとだけ失礼しまして、前々回は沢山の
拍手を有難うございました。
当商店、拍手レスは当該記事のコメント欄にて返信させて頂いております、が。
最近拍手レスがこちらに届かないケースがあるらしく、最近万が一送信して頂いた
連絡事項等のレスに返信が無かった場合等、匿名でも結構ですので、コメント欄に
一報お寄せ下さいますようお願い致します。
ご迷惑をおかけしますが、何卒宜しくお願い致します。


さて今日の商店は東方プロジェクト縁の地を訪ねる幻想見聞録。
旅の行く先は西行法師終焉の地、弘川寺へと駒を向けた時の事を一つ。

京都から弘川へは竹田街道こと国道24号線を南へ下りまして、稗田阿礼の
賣太神社を通り過ぎ、佐保川を渡り南へ南へ、大和川も打ち過ぎまして、
かぐや姫の讃岐神社を尻目に殺し、24号線から南阪奈道を西へと進路を
変えてドンドンドンドン出てまいりますと、葛城山の野辺へかかってまいります。
何しろ春先でございます、空にはヒバリやウグイスがチィチィとさえずってまして、
野には陽炎が燃えていようかと言う。

遠山に霞みがたなびいて、桜の木々も花盛り。
麦が青々と伸びた中を菜種の花が彩っていよう本陽気。
その中を単騎鉄の駒でゆく、その道中の陽気なことー!

弘川の野辺

と、落語の愛宕山の一節を真似して始めさせて頂いた訳ですけれど、当日はまさに
この小噺の通りの気持ちの良いお天気でして、そして写真でおわかり頂けるかと
思いますが、弘川の野辺が魅せる春の風景の気持ちの良い事。

まさに、のどかな、という形容がぴたりと当てはまる、そんな里山にちょこんと建っている、
この可愛らしい御堂こそ、大の桜好きの歌仙、西行法師がその生涯を終えた弘川寺で
ございます。

弘川寺入り口

三門の変わりに枝垂れ桜がアーチをつくっており、これはその下からお堂を覗かせて
いただいた所。
流石は桜好きの西行法師縁のお寺、入り口からして実に風雅な門構えでございますな。

西行法師については、古典苦手の店主より皆々様の方が良くご存知の事と思いますので、
歴史的考察はちょっとグーグル先生や、ウィキペディア辞典にでもお願いして、幻想郷史的
には東方妖々夢のラスボス、幽明楼閣の亡霊嬢、西行寺幽々子の御父君に当たる人物で
ございますな。

史実でも彼には娘が居た事になっておりますが、北面の武士と言う大変名誉な武士の位を
惜しげもなく放り出し、二十二歳の若さで出家する時に、すがる5歳の愛娘をなんと縁側から
蹴り落として未練を断ったという破天荒極まりない逸話が残っております。

ちなみに若い頃は相当な美男子であったという俗説が御座いますw
また彼が生きた時代は源平の合戦が苛烈を極める頃、そんな当時の日本を、いくら出家の
身とは言え西へ東へと旅して回ってるわけですから、腕っぷしも確かだったのでしょう。
まさにこの娘にしてこの父ありと言うところでしょうか(´ヮ`)

西行記念館

そんな逸話等様々な西行伝説が、お寺の横に併設されているこの西行寺記念館にて
楽しむ事ができます。
愛娘が蹴り飛ばされてるシーンが描かれている資料もありますので、弘川を訪れた
おりには是非に。大人一人500円、中も桜は綺麗で御座います。

願わくは~の石碑

さてその西行法師ですが、生前は大の桜好きとして知られておりますな。
そんな彼の性格を実によく現しているのがこの歌。

願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月の頃

ちょっと写真の石碑が達筆すぎて自信ないのですが、おそらくその歌が刻まれたものかと。
間違えていたらご指摘お願いします><

その如月の望月とは旧暦の2月15日で、お釈迦様の入滅した日で御座います。
実際の命日は2月16日で、現在使用されている西暦では3月16日の事ですね。

まあ弘川寺の周辺の桜は現在の暦で4月初旬~下旬が見頃となっておりますから、
日付はともかく桜の下で入滅できたかどうかは妖しいものですけど、まあ西行妖とも
なれば一ヶ月や二ヶ月満開になりっぱなしであっても不思議じゃないですかねw

西行墳

で、こちらが西行法師の本当のお墓。
実は西行法師の御墓のある弘川寺を現在の桜の名勝としたのは、江戸時代に
この地に移り住んだ似雲法師というお坊さんで、長らく誰のものか解らなかった
この御墓が西行法師のものであったと発見したのも彼なんだそうです。

西行桜山周遊路入り口

その似雲法師も歌人として当時名を馳せており、そのためか彼は西行法師を
大変尊敬していたとの事で、彼の御墓を囲むように桜の木を千本も植え、心からの
弔いとしたそうです。

その千本桜、今は千と五百本にまで増え、この西行桜山と名づけられたお寺の
裏山を見事に彩っており、鑑賞用の散策路もしっかりと整備されております。

桜山景観1

ハイキングには丁度良い山道を、その上に下に霞のようにかかる桜の花を愛でながら、
時に心を奪われて立ち止まりつつ一周するとたっぷり一時間。

桜山景観2

その見事な桜の世界、入山するのに浄財は必要無し。
しかも、これだけの桜の盛りに訪れる人は少なめ、広けた場所にレジャーシートを
敷いてうたた寝していても、お弁当を食べてても苦にされません。

花には団子

店主、そんなのどかな休日を過ごす人が羨ましくなり、その場で山をかけおりて鉄の駒に
火を入れると、たっぷり20分は離れてるであろう最寄のコンビ二で団子と茶を手に入れ、
とって戻して桜山の山頂に駆け上がり、花には団子と洒落込みました。

西行庵跡地

その西行桜山に、かつて西行法師が草庵を結んだという場所があります。
写真だとわかりにくいかも知れませんが、ここからはのどかな弘川の田園風景が一望
する事が出来まして、西行法師はここから、田畑の中から立ち上る炊飯の煙等見て
庶民の暮らしを見守りつつ余生を送ったのでしょう。

京都の桜は、美しく魅せる技に磨かれ咲く花だと、私は感じました。
それに対してこの弘川の桜は、愛されて咲いている花だと、私は感じました。

同じ時を生きた藤原定家が技巧的な歌を誇るのに対し、西行法師は素朴で心境を
隠さず吐露する、自然の美しさをそのまま謳いあげる実直な作風が特徴だそうで、
ならばという訳ではございませんが、最後に富士見の娘さんに春の歌を一首。
素直な所を頂戴いたしまして、今回の商店お開きにさせて頂きます。

西行の娘


大江山、酒天童子伝説を訪ねる。

まいど、SEVEN OUTです。
気温がいっきに冷えるのかまだ暖気が粘るのか微妙なラインに
差し掛かっている今日このごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか。

本日の商店、取り扱う話題はこちら。

大江町の鬼

♪鬼のパンツは良いパンツ~
 強いぞ~強いぞ~
 百年穿いても破けない~
 強いぞ~強いぞ~

どんなに丈夫でも同じパンツ十年も二十年も穿きたくありません。
店主はこう見えて綺麗好きですから、洗濯しながら五年くらいで
買い換えてます。

まあそんな訳で、今日はこの鬼について。
京都北部、福知山市は大江山を尋ねた時のレポート等を。
しかしこのフニクリフニクラの替え歌って全国に通じるかな?
 
酒天童子の里の鬼瓦

大江山は、固体の鬼としておそらく最も有名な酒天童子が根城を構た
場所であり、そこに源頼光が金太郎こと坂田金時を初めとする配下の
四天王を従え、山伏の格好をして酒天童子に接近し、毒酒を飲ませて
酔い潰したところを首を刎ね、これを成敗したと言う伝説があります。

そのためか、大江町には最初の写真のような鬼の像をはじめ、鬼が
描かれた看板や鬼に纏わる施設、公園等が多数存在しており、鬼伝説の
ピーアールを町全体で行っているようです。

この写真は酒天童子の里、日本の鬼の交流博物館の前にある超巨大鬼瓦の
モニュメント。
なんと重さ10tもある日本一の鬼瓦だそうで、取得すると下十字キー+Bで
空中を含む画面どこにでも設置でき、足場にしたり敵の攻撃を防ぐ事も。


鬼獄稲荷神社

大江山は標高800m程の御山ですが、その肩口まで車で登れます。
写真は本当の登山道の入り口にある鬼獄稲荷神社。
社務所では鬼の金棒(木製)を貸し出しており、管理人さんが記念撮影に
積極的に応じておりました。

大江山

こちらが大江山の主峰千丈ヶ嶽の山頂です。

酒天童子は幼名を伊吹童子と言い、出生地は滋賀県の伊吹山であると
伝えられております。
東方萃夢想のラスボスである伊吹萃香の姓はここから来ているものと
予測されますね。

その滋賀県出身の息吹童子がなぜ大江山に移り住んできたのか。
詳しくはこちらのサイトが良く纏めていたのでご紹介。
http://www.ffortune.net/calen/setubun/syutendozi.htm
掻い摘んで説明すると、伊吹童子は伊吹山に捨てられた後、比叡山に
移り住むも伝教大師こと最澄に追われてから九州や富士山等を転々と
した後、最後に大江山に居を構えたとされております。

陰陽道の考え方から行くと、京都から見て比叡山は鬼門であり、まさに
鬼が入ってくる方角。そして福知山は、四神相応の図から、悪鬼を放逐する
ための白虎を示す道、山陰道で京都と繋がっております。
各地を転々とした、と言う部分を省いて見ると、鬼門の方角北東の滋賀方面から
比叡山を超え入って来た酒天童子が、福地山方面へと放逐されたと考えると、
陰陽道的にはピタリと合点が行く訳です。

この酒天童子伝説は、室町幕府が源氏武士の威光を世に広めるために
作らせた物語であると言われておりますが、元となった物語の時代設定は
ちょうど安倍晴明等が活躍した陰陽師全盛期の逸話らしく、その時代背景
からしても陰陽道の影響があるものと考えるのが自然でしょう。

山城国境

さて伝説では酒天童子、この山陰道を遡って来ては京都に入り、悪事の
限りを尽くした咎で源頼光らに成敗さた後、首級にされて京へと運ばれて
来るのですが、頼光らがこの山城の国境、老い坂で休憩をしていたところ、
突然道端のお地蔵様が、鬼の首等不浄のものを京に入れる事まかりならん
と言われたそうで、そのとたん酒天童子の首は、怪力を誇る坂田金時を
もってしても動かなくなった、とあります。

頼光らは仕方なく首をその場に埋め、ここを首塚とします。
それが現在も国道9号線、老の坂トンネルの脇にある首塚大明神です。

首塚大明神

酒天童子は、その最期に自分の犯した罪を償いたい。
首だけになった身として、首より上の病を治すようにする。
そう願い出ていたと言う事で、首塚大明神として奉られているのだそうです。

首塚大明神参道

しかしこの首塚大明神。
さすがに伝説の悪鬼を奉る神社らしく、境内(そもそも境内と言う趣き
ではない)は不気味な事上なく、まるで魔境のような雰囲気。
写真は参道ですが、普通の神社とはすでに一線を画していますね。

首塚大明神社

この小さくも不気味な御社が首塚大明神。
二段構えの鳥居の手前側の注連縄が真ん中で切断されていたり、
御神木と思わしき大木には雷が堕ちたと思われる縦一文字の真っ黒な
亀裂が走っていたりと不吉な事この上ない。
店主、もしも夜にここに行けと言われたら、恥も外聞も泣く泣き喚いて
拒絶する自信がございます(((;゚д゚)))

首塚

御社の後ろには、正真正銘の首塚が。
この下に鬼の首が埋まっているのだと考えると、さすがに背筋を寒いものが
駆け巡りますね。

隈鬼

と、さんざん不気味さをあおりましたが、しかしながら、鬼と言うのは本来、
冒頭の鬼瓦もそうですが、守護者として奉られる側の存在だったのです。

写真は、日本最大と言われる東寺の五重の塔の第一階層の屋根を支える隈鬼。
先週お伝えした唐招提寺の大混雑も、普段は見れない屋根の四方の支えである
この隈鬼が間近で見られる数少ないチャンスであるから、と言う理由の人も
結構居たそうですよ。

桃太郎もそうですが、鬼退治の逸話は、中央の政権に反抗する勢力の討伐記を
表している事が多いですね。
鬼は極悪非道の存在と描かれますが、しかしそれは勝利者の側から見た価値観。
正義や真がどちらにあったのか、それは過去の闇の中で御座います。

源頼光の武勇伝を讃える筈だった酒天童子の物語でも、しかし毒酒を飲まされ、
まさに騙し討ちに遭った酒天童子は、次の言葉を持って源頼光を罵ります。

「鬼に横道は無いぞ」

ここでの横道とは、嘘や卑怯な事をさします。
残虐非道とされる鬼だってこんな卑怯な真似はしない、と言う意味です。

酒天童子の物語は、確かに源頼光、中央政権から派遣された武士を讃える
筈の物語ですが、この言葉は決して彼等が純粋な正義であった事を
伝えるのに相応しいものではありません。

そのせいか、酒天童子伝説をネットで調べれば、酒天童子に同情的な説が
少なからず存在します。

和議を持ちかけられだまし討ちに遭ったと言えばアイヌのシャクシャイン等が
思い出されますが、中央政権に無理矢理屈服させられ、その後悪玉としてしか
伝えられない悲しき敗北者達の無念。
中央神話の神に破れ、異端の悪鬼として描かれる土着の神々の悲哀。

この酒天童子の物語は、そんな人々の怨念を、朝廷を讃える逸話の中に
見事に潜り込ませたと言う、隠れたアンチテーゼなのかも知れませんね。

人を見限った鬼。
嘘が大嫌いな鬼。
もういなくなってしまった鬼。
そんな鬼達とは、本当はなんであったのか。

最期にもう一度酒天童子の言葉を振り返り、本日の商店お開きにしたいと思います。

手向けの酒宴


稗田を訪ねて。

おばんです。 SEVEN OUTです。

先週の土曜日、奈良県の唐招提寺金堂の修繕が七年ぶりに終わり、
その修理のために使っていた鞘堂が取り外される前に、その鞘堂の
足組みを使って金堂の大屋根を間近で見せてくれるという催しものが
開催されているとの情報を聞きつけ、即座に鉄の駒を駆って竹田街道
を南下したのでは御座いますが、ついた時には車も人も大渋滞。

駐車場に入るまでの道が延々2km以上、車を降りてからも入場するまで
一時間以上、さらにお堂を見るまでお寺の中で並ぶこと測り知れずという
状況だったので、さすがに根負けして諦めました。

しかし、ただ空振りするのは奈良まで来ていてもったいない。
お隣の薬師寺は割と空いていたので立ち寄りましたが、これにもう一つ、
実は以前から目をつけていたスポットに足を伸ばして参りました。
今日は、その事についてお話させて頂きたいと思います。

あっきゅん

イラストは、東方求聞史記の著者、稗田阿求さん。
クーリエさんにて描かせて頂きました。

本日ご紹介させて頂きますスポットは、この稗田阿求さん縁の人物。
稗田阿礼命を主祭神とする賣太神社で御座います。
求聞史記の設定では、阿求さんはこの阿礼命の子供の転生体として九代目だ
そうですから、阿礼さんは阿求さんにとってお父さんかお母さんにあたる人物と
いう事になりますね。

賣太神社入り口

こちらが賣太神社の入り口。
場所は京都から見て武田街道の西側、唐招提寺や薬師寺へ向かう道との分岐を
さらに南下してから、名も無き市道を西にちょっと入ったところにあります。

さらに竹田街道を南下すると、以前ご紹介させて頂きました、かぐや姫様縁の
讃岐神社がありますね。

賣太神社由緒

神社の由緒。
もうだいぶ古くなっているので文字は良く読めませんが、右下には確かに
主祭神、稗田阿礼命とあります。
さらに副斎神として天鈿女命、猿田彦命様をお祭りしているのですが、
これは稗田家が猿田彦命と天細女命の夫婦神を祖とする猿女君の一族だから
であると予測されます。

つまり、阿求さんの祖先が天狗の祖、庚申様事猿田彦命なので、射命丸さんや
犬走さん等の東方天狗達とも遠縁にあたる可能性もあるのかも?

稗田環濠看板

稗田様の名は今でも稗田町として残っております。
この稗田町は町の周囲をお堀で囲う環濠集落でありまして、町の周りには
水をたっぷりと湛えた稗田環濠が今でも残っております。
写真? とって来るのを忘れました(ノд`)

賣太神社境内

神社の境内、かなりきれいに掃き清められており、こじんまりとしてはいますが、
逆にそれが可愛らしいイメージを醸し出しています。

菅原の天神様と比べると知名度は圧倒的に低いと思われますが、記憶に長ける
舎人と歴史に名を残す稗田阿礼命、学問の神として祭られ、社務所では合格祈願を
積極的に受け付けておりました。

語り部の碑

境内にある語り部の碑。
古事記の編纂にあたり、一度見たものは忘れないと言われる能力をフル活用してこれを
助けたと伝えられる稗田阿礼命。
その古今東西様々な事象を語ったという逸話からかたりべとしても讃えられているのですね。

十一月も第一週を終えたところでまだまだ寒さは緩い方。
紅葉を愛でるイベントは京都嵐山の方で今週末も行われておりますが、
それに紅葉がなかなかついて来ていない御様子。

そんなこんなで紅葉の行方にやきもきする店主が本日の商店、
賣太神社特集をお送りいたしました。