現在の閲覧者数: 狸小路商店街 -サイ(゚∀゚)タマ!!- 2007年11月
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狸小路商店街 -サイ(゚∀゚)タマ!!-

東方プロジェクトとサイ(゚∀゚)タマ!!県を斜め下から眺める場所


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もみじを食べる旅

前略、犬走様。

くわせろ!!

あ、嘘です冗談ですだからその環頭太刀しまっておねがあqwせdrtgyふじこlp;!?

※ただ今音声が乱れております。
 回復するまで本日のイメージ画像をお楽しみ下さい。
                 
.                        木工用ボンド部

もみっち

えー、いきなり血なまぐさくなってすいません。
あの『もみじ』ちゃんを実際に食す事が出来る。
そんな素敵な情報を、以前に御常連のお客様より頂いきましたので、本日は、
と見せかけて先週の日曜日は、漢のささやかな野望を叶える為に、阪急電車に
乗って大阪は箕面にお邪魔してまいりました。

自慢の鉄の駒はどうした?
いやいや、こういう季節モノの観光スポットは極力鉄道を利用するのが鉄則。
無駄に長い人生で徹底して刷り込んできた遊び人の知恵で御座います。

箕面駅前

京都からは阪急京都線、宝塚線、箕面線と乗り継ぎ、小一時間程かけて箕面駅に到着。
駅前から箕面大滝まで観光商店街が連なっていて、方向音痴のあなたと私に親切設計。
さらに写真の左手、その名ももみぢ屋さんは、探しものが苦手なあなたと私が大助かり。
箕面名物もみぢのてんぷらを店頭販売しております。

もみじのてんぷら

さっそくゲットだぜ!
こちらがそのもみじのてんぷらです!
ああもみっち、変わり果てた姿に;;"::,(゚ω´(◎≡

気になるお味の方はと言うと、てんぷら、と言うイメージはなく、沖縄のおかし、
サーターアンダギーに近かったような……違ったような。
食感は硬めのおせんべいみたいな感じ、虫歯があるとかなり響きます(ノд`)

核となるもみじの味は全くしなかったですが、美しいもみじを愛でながら
頂くにはぴったりのお菓子でしたね。

箕面大滝への道

駅前から観光商店街を抜け、大滝までは約一時間程の道のり。
その道中は、さすが名の知れた紅葉の名勝、見所は盛り沢山。

箕面大滝への道2

11月半ばでは、まだ紅葉も不完全ではありましたが、逆にそれが様々な
色のコントラストが楽しめる怪我の功名に。

箕面寺境内

道中にある箕面寺は、文花帖でゆゆ様とコンビを組んで第八ステージを
守る藍様のスペル、超人「飛翔役小角」にある修験道の開祖、役小角様が
建立したお寺で、さらには宝くじの前身、江戸時代の富くじ発祥の地と
伝えられているお寺であります。

箕面弁天堂境内

箕面寺の裏手には箕面弁天堂があります。
こちらは滝への道から少し外れているので人があまり来ないため、静かで
非常に良い雰囲気を楽しませてもらったので記念に一枚。

箕面弁天堂弁天様

境内にあった弁天様(おそらく)。
手前に伸びていたもみじの枝のカーテンが風に揺れ、その合間から
ご尊顔を撮らせて頂きました。

箕面大滝


そしてこちらが最終目的地、箕面大滝、一枚の写真に収まらなかったので、
写真三枚をドッキング(写真内に不可解な横線があるのはそのためです(ノд`)
残念ながら滝の前のもみじはまだ紅葉しておりませんでした。

この大滝、なんでも上流の高速道路の工事により水量が減り、かつては
向かって左の岩肌にも滝がかかっていたそうですが、今は御覧の通り。
それでも今年はまだ水が多い方だそうです。
寂しい話ですねぇ(´・ω・`)

箕面温泉入り口

箕面は紅葉と大滝、そして温泉でも有名な観光地だそうで、寝る事と風呂に
入ることが大好きな店主、そうと聞けば早速お湯を頂きに。
最近寂れてしまったと悲しい情報もあり、しかしひなびた温泉街なら逆に
雰囲気も良く値段も頃合だろうと密かな期待に胸膨らませていると……。

箕面温泉タワー

■くえすちょん
 何でしか、この温泉施設とは思えぬ巨塔は?
 こんなもの、入浴料金だけ維持していけるんでしか?

箕面温泉料金表

■アンサー
 無理に決まってんだろこのダラズ。

なんだ、レジャー施設料金は!
こんなところ値段的に男一人で入れるか!
馬鹿もーん(ノд`)

それでも施設の規模から考えれば、東京周辺の温泉施設から考えると
安い方なんですけどね。
まあ、ちょっと今回は食指が動かなかったので入浴は見送りました。
決して懐が心細かったからじゃないですじょ?

さて次回、今日までの三連休は好天にも恵まれ、店主は京都の紅葉の
名勝をたっぷりと堪能する事ができました。
その内から天狗と言えばやっぱりここ、鞍馬寺界隈をお送り致します。

京都の紅葉は来週辺りまで十分見る事ができると思いますよ。
お時間のある方は是非に是非に。
それでは本日はこの辺で、本日はお付き合い下さいましてまことに有難う御座いました。


10,000hit有難うございました!

今年の七月に産声を上げた狸小路商店街。
皆様の日頃の御愛顧を受けまして、今月の初頭御来店された方の
数がのべにして一万人を超えました。

店主、心よりあつく御礼を申し上げます。
真に有難う御座います。

10khit

今後も、仕事の関係で関西に居る間ではありますが、こんな感じで
旅行記等を交えつつ運営して行きたいと思います。
また、東方界隈の辺境の辺境、零細弱小サイトではありますが、
東方プロジェクトのファンサイトとして微々たるものでしかありませんが、
界隈の活性化に貢献できるよう努力して行く所存であります。

訪れて下さった人の心に、何か残るものを創れれば。
狸小路商店街、今後もその精神で運営していきます。

.                                 店主 SEVEN OUT


大江山、酒天童子伝説を訪ねる。

まいど、SEVEN OUTです。
気温がいっきに冷えるのかまだ暖気が粘るのか微妙なラインに
差し掛かっている今日このごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか。

本日の商店、取り扱う話題はこちら。

大江町の鬼

♪鬼のパンツは良いパンツ~
 強いぞ~強いぞ~
 百年穿いても破けない~
 強いぞ~強いぞ~

どんなに丈夫でも同じパンツ十年も二十年も穿きたくありません。
店主はこう見えて綺麗好きですから、洗濯しながら五年くらいで
買い換えてます。

まあそんな訳で、今日はこの鬼について。
京都北部、福知山市は大江山を尋ねた時のレポート等を。
しかしこのフニクリフニクラの替え歌って全国に通じるかな?
 
酒天童子の里の鬼瓦

大江山は、固体の鬼としておそらく最も有名な酒天童子が根城を構た
場所であり、そこに源頼光が金太郎こと坂田金時を初めとする配下の
四天王を従え、山伏の格好をして酒天童子に接近し、毒酒を飲ませて
酔い潰したところを首を刎ね、これを成敗したと言う伝説があります。

そのためか、大江町には最初の写真のような鬼の像をはじめ、鬼が
描かれた看板や鬼に纏わる施設、公園等が多数存在しており、鬼伝説の
ピーアールを町全体で行っているようです。

この写真は酒天童子の里、日本の鬼の交流博物館の前にある超巨大鬼瓦の
モニュメント。
なんと重さ10tもある日本一の鬼瓦だそうで、取得すると下十字キー+Bで
空中を含む画面どこにでも設置でき、足場にしたり敵の攻撃を防ぐ事も。


鬼獄稲荷神社

大江山は標高800m程の御山ですが、その肩口まで車で登れます。
写真は本当の登山道の入り口にある鬼獄稲荷神社。
社務所では鬼の金棒(木製)を貸し出しており、管理人さんが記念撮影に
積極的に応じておりました。

大江山

こちらが大江山の主峰千丈ヶ嶽の山頂です。

酒天童子は幼名を伊吹童子と言い、出生地は滋賀県の伊吹山であると
伝えられております。
東方萃夢想のラスボスである伊吹萃香の姓はここから来ているものと
予測されますね。

その滋賀県出身の息吹童子がなぜ大江山に移り住んできたのか。
詳しくはこちらのサイトが良く纏めていたのでご紹介。
http://www.ffortune.net/calen/setubun/syutendozi.htm
掻い摘んで説明すると、伊吹童子は伊吹山に捨てられた後、比叡山に
移り住むも伝教大師こと最澄に追われてから九州や富士山等を転々と
した後、最後に大江山に居を構えたとされております。

陰陽道の考え方から行くと、京都から見て比叡山は鬼門であり、まさに
鬼が入ってくる方角。そして福知山は、四神相応の図から、悪鬼を放逐する
ための白虎を示す道、山陰道で京都と繋がっております。
各地を転々とした、と言う部分を省いて見ると、鬼門の方角北東の滋賀方面から
比叡山を超え入って来た酒天童子が、福地山方面へと放逐されたと考えると、
陰陽道的にはピタリと合点が行く訳です。

この酒天童子伝説は、室町幕府が源氏武士の威光を世に広めるために
作らせた物語であると言われておりますが、元となった物語の時代設定は
ちょうど安倍晴明等が活躍した陰陽師全盛期の逸話らしく、その時代背景
からしても陰陽道の影響があるものと考えるのが自然でしょう。

山城国境

さて伝説では酒天童子、この山陰道を遡って来ては京都に入り、悪事の
限りを尽くした咎で源頼光らに成敗さた後、首級にされて京へと運ばれて
来るのですが、頼光らがこの山城の国境、老い坂で休憩をしていたところ、
突然道端のお地蔵様が、鬼の首等不浄のものを京に入れる事まかりならん
と言われたそうで、そのとたん酒天童子の首は、怪力を誇る坂田金時を
もってしても動かなくなった、とあります。

頼光らは仕方なく首をその場に埋め、ここを首塚とします。
それが現在も国道9号線、老の坂トンネルの脇にある首塚大明神です。

首塚大明神

酒天童子は、その最期に自分の犯した罪を償いたい。
首だけになった身として、首より上の病を治すようにする。
そう願い出ていたと言う事で、首塚大明神として奉られているのだそうです。

首塚大明神参道

しかしこの首塚大明神。
さすがに伝説の悪鬼を奉る神社らしく、境内(そもそも境内と言う趣き
ではない)は不気味な事上なく、まるで魔境のような雰囲気。
写真は参道ですが、普通の神社とはすでに一線を画していますね。

首塚大明神社

この小さくも不気味な御社が首塚大明神。
二段構えの鳥居の手前側の注連縄が真ん中で切断されていたり、
御神木と思わしき大木には雷が堕ちたと思われる縦一文字の真っ黒な
亀裂が走っていたりと不吉な事この上ない。
店主、もしも夜にここに行けと言われたら、恥も外聞も泣く泣き喚いて
拒絶する自信がございます(((;゚д゚)))

首塚

御社の後ろには、正真正銘の首塚が。
この下に鬼の首が埋まっているのだと考えると、さすがに背筋を寒いものが
駆け巡りますね。

隈鬼

と、さんざん不気味さをあおりましたが、しかしながら、鬼と言うのは本来、
冒頭の鬼瓦もそうですが、守護者として奉られる側の存在だったのです。

写真は、日本最大と言われる東寺の五重の塔の第一階層の屋根を支える隈鬼。
先週お伝えした唐招提寺の大混雑も、普段は見れない屋根の四方の支えである
この隈鬼が間近で見られる数少ないチャンスであるから、と言う理由の人も
結構居たそうですよ。

桃太郎もそうですが、鬼退治の逸話は、中央の政権に反抗する勢力の討伐記を
表している事が多いですね。
鬼は極悪非道の存在と描かれますが、しかしそれは勝利者の側から見た価値観。
正義や真がどちらにあったのか、それは過去の闇の中で御座います。

源頼光の武勇伝を讃える筈だった酒天童子の物語でも、しかし毒酒を飲まされ、
まさに騙し討ちに遭った酒天童子は、次の言葉を持って源頼光を罵ります。

「鬼に横道は無いぞ」

ここでの横道とは、嘘や卑怯な事をさします。
残虐非道とされる鬼だってこんな卑怯な真似はしない、と言う意味です。

酒天童子の物語は、確かに源頼光、中央政権から派遣された武士を讃える
筈の物語ですが、この言葉は決して彼等が純粋な正義であった事を
伝えるのに相応しいものではありません。

そのせいか、酒天童子伝説をネットで調べれば、酒天童子に同情的な説が
少なからず存在します。

和議を持ちかけられだまし討ちに遭ったと言えばアイヌのシャクシャイン等が
思い出されますが、中央政権に無理矢理屈服させられ、その後悪玉としてしか
伝えられない悲しき敗北者達の無念。
中央神話の神に破れ、異端の悪鬼として描かれる土着の神々の悲哀。

この酒天童子の物語は、そんな人々の怨念を、朝廷を讃える逸話の中に
見事に潜り込ませたと言う、隠れたアンチテーゼなのかも知れませんね。

人を見限った鬼。
嘘が大嫌いな鬼。
もういなくなってしまった鬼。
そんな鬼達とは、本当はなんであったのか。

最期にもう一度酒天童子の言葉を振り返り、本日の商店お開きにしたいと思います。

手向けの酒宴


稗田を訪ねて。

おばんです。 SEVEN OUTです。

先週の土曜日、奈良県の唐招提寺金堂の修繕が七年ぶりに終わり、
その修理のために使っていた鞘堂が取り外される前に、その鞘堂の
足組みを使って金堂の大屋根を間近で見せてくれるという催しものが
開催されているとの情報を聞きつけ、即座に鉄の駒を駆って竹田街道
を南下したのでは御座いますが、ついた時には車も人も大渋滞。

駐車場に入るまでの道が延々2km以上、車を降りてからも入場するまで
一時間以上、さらにお堂を見るまでお寺の中で並ぶこと測り知れずという
状況だったので、さすがに根負けして諦めました。

しかし、ただ空振りするのは奈良まで来ていてもったいない。
お隣の薬師寺は割と空いていたので立ち寄りましたが、これにもう一つ、
実は以前から目をつけていたスポットに足を伸ばして参りました。
今日は、その事についてお話させて頂きたいと思います。

あっきゅん

イラストは、東方求聞史記の著者、稗田阿求さん。
クーリエさんにて描かせて頂きました。

本日ご紹介させて頂きますスポットは、この稗田阿求さん縁の人物。
稗田阿礼命を主祭神とする賣太神社で御座います。
求聞史記の設定では、阿求さんはこの阿礼命の子供の転生体として九代目だ
そうですから、阿礼さんは阿求さんにとってお父さんかお母さんにあたる人物と
いう事になりますね。

賣太神社入り口

こちらが賣太神社の入り口。
場所は京都から見て武田街道の西側、唐招提寺や薬師寺へ向かう道との分岐を
さらに南下してから、名も無き市道を西にちょっと入ったところにあります。

さらに竹田街道を南下すると、以前ご紹介させて頂きました、かぐや姫様縁の
讃岐神社がありますね。

賣太神社由緒

神社の由緒。
もうだいぶ古くなっているので文字は良く読めませんが、右下には確かに
主祭神、稗田阿礼命とあります。
さらに副斎神として天鈿女命、猿田彦命様をお祭りしているのですが、
これは稗田家が猿田彦命と天細女命の夫婦神を祖とする猿女君の一族だから
であると予測されます。

つまり、阿求さんの祖先が天狗の祖、庚申様事猿田彦命なので、射命丸さんや
犬走さん等の東方天狗達とも遠縁にあたる可能性もあるのかも?

稗田環濠看板

稗田様の名は今でも稗田町として残っております。
この稗田町は町の周囲をお堀で囲う環濠集落でありまして、町の周りには
水をたっぷりと湛えた稗田環濠が今でも残っております。
写真? とって来るのを忘れました(ノд`)

賣太神社境内

神社の境内、かなりきれいに掃き清められており、こじんまりとしてはいますが、
逆にそれが可愛らしいイメージを醸し出しています。

菅原の天神様と比べると知名度は圧倒的に低いと思われますが、記憶に長ける
舎人と歴史に名を残す稗田阿礼命、学問の神として祭られ、社務所では合格祈願を
積極的に受け付けておりました。

語り部の碑

境内にある語り部の碑。
古事記の編纂にあたり、一度見たものは忘れないと言われる能力をフル活用してこれを
助けたと伝えられる稗田阿礼命。
その古今東西様々な事象を語ったという逸話からかたりべとしても讃えられているのですね。

十一月も第一週を終えたところでまだまだ寒さは緩い方。
紅葉を愛でるイベントは京都嵐山の方で今週末も行われておりますが、
それに紅葉がなかなかついて来ていない御様子。

そんなこんなで紅葉の行方にやきもきする店主が本日の商店、
賣太神社特集をお送りいたしました。


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